映画祭レポート⑩/プロフェッショナルトーク「石田祐康監督が『ペンギン・ハイウェイ』にいたるまで」」


 
 若くしてアニメ制作会社「スタジオコロリド」の設立に参加し、今年8月に森見登美彦原作の『ペンギン・ハイウェイ』で長編デビューした30歳の新鋭・石田祐康監督はどんなアニメづくりの道を歩んできたのか。
 
 映画祭3日目、プロフェッショナルトーク「石田祐康監督が『ペンギン・ハイウェイ』にいたるまで」が開催され、大学の卒業制作『rain town』(2011年)と、初めて手掛けた商業作品『陽なたのアオシグレ』(2013年)上映ののち、アニメーションジャーナリスト数土直志さんの司会で石田監督自身が楽しく明かした。
 

 

 
 石田監督は高校の美術科で日本画、油絵、彫刻などを一通り学んだ。「子どものころから人並みに『ガンダム』や『ドラゴンボール』などに親しんできましたが、様々な作品に触れる中で、また純粋美術を学ぶ中で、何かこんなものが作ってみたい」と、アニメーションの自主制作を始めた。進学先は、アニメーション専攻科がいくつもある東京ではなく、京都精華大を選択。「アニメーション科は新設でしたが、杉井ギサブローさんら業界の第一線で働いている方々が講師なのが魅力。京都に住むことにも憧れがありました」という。
 
 大学でアニメーション制作を学びながら自身の作品として構想したのが、雨が降り続け住人がほとんど居なくなった街を静かに描く『rain town』。しかし、クラスメートから「半ば強引に(笑)」合作を持ちかけられ、先に短編『フミコの告白』(2009年)に取りかかることになったという。好きな男子に振られた女の子が、悲しみを振り切って走りだしたところ坂道で止まらなくなる…という暴走を描いたドタバタ劇で、動画サイトに載せたところ大反響を呼んだ。
 

 
 『フミコの告白』で目指したのは「海外の短編作品にも勝てる作品を作ること」と石田監督。アヌシーなどのアニメ映画祭に出品される諸作品を数多く観て「あくまで当時の話ですが、日本の学生が作るものは甘い。熱量などで海外の作品に負けていると感じていた」と話す。「それを素直に認めて、面白くするにはどうするか。邪魔なプライドは捨て、商業アニメの技法も含めて使えるものは何でも活用しました」。結果、2010年オタワ国際アニメーションフェスティバルの特別賞や、第14回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門優秀賞などを獲得した。
 
 大学卒業後、講師のつてで劇場作品『グスコーブドリの伝記』(2012年)の撮影、作画に参加。プロがどんな覚悟で仕事しているか学び、既存のスタジオで修業を積むことを考えたが、大学の先生から「自分で場を作るべきだ」と勧められ、スタジオコロリドの立ち上げに関わった。「陽なたのアオシグレ」はその第1号作品だ。猛スピードでアニメ業界を突き進むような印象がある石田監督だが、「やるからには負けたくない、という気持ちの強さ」と「石橋を叩きすぎるくらいの慎重さ」が同居している、と自己分析する。
 

 
 初の長編『ペンギン・ハイウェイ』についても、当初はオリジナル企画で、という話もあったが「落ち着け、今は原作付きのものを手掛けるべきだ、と野心を抑えた。物語の視点が子ども中心なのも、自分には合っていました」と振り返った。原作をもらったそばから、すぐにイメージする場面を何十枚、100コマ以上描いた。これが結果的にイメージボードの役目を果たすことになった。「最初に浮かんだイメージの強さに助けられて作った感じはある」という。
 

 
 その出来栄えについて「2割はペンギンがパレードするシーンなどテンションの高い、はっちゃけたところがありますが、8割方は落ち着いた、大人に見せる『映画』にしようと思った。今までさまざまな映画やアニメを観て、それらが自分の財産になっている気がします。それらを引用して、イメージを反映させた結果だと思う」と振り返る。「今回は動員的にも、自分が調子に乗りすぎない程度にお客さんが入ってくれて良かった。今後も自分が愛せる作品を着実に作り続け、当たるような作品はそのうちタナボタ程度にあれば」と笑った。