映画祭レポート⑥/マスタークラス 谷口暁彦「ゲームアートという奇妙なゲームについて」


 
 映画祭2日目、本映画祭で短編コンペティション部門の国際審査員を務める谷口暁彦さんによるマスタークラス「ゲームアートという奇妙なゲームについて」が開催。“ゲームアート”という初めて耳にする人も多いであろうテーマについて、同ジャンルの過去の代表作などを紹介しながらの単独講演が行われた。
 
 インターネット上で“ゲームアート”と入力すると、所謂キービジュアルやコンセプトアートなど、ビデオゲーム制作進行の上で必要になる作品画像ばかりが出てくるが、ここでの“ゲームアート”はそれとは異なり、ビデオゲーム自体をモチーフにした現代アート作品のことを指す。
 
 まず紹介されたのは『Super Mario Clouds』(Cory Arcangel/2002年)。任天堂のゲームソフト「スーパーマリオブラザーズ」の世界の雲のみが流れ続けるアート作品である(近年、ハッキング的手法ではなくオリジナルのソースコードで書かれたものと明らかになった)。
 

 
 続いて『Long March:Restart』(Feng Mengbo/2002年)と『Velvet Strike』(Anne-Marie Schleiner/2002年)を紹介。『Long March:Restart』は中国の文化大革命時代を背景に、近衛兵の主人公をモチーフとして製作。『Velvet Strike』は、一人称視点シューティングゲーム『Counter Strike』のプレイ画面の床や壁に反戦のメッセージを貼れるというプログラムで、9.11のテロ事件を受けてイラク戦争が危ぶまれた時期に製作されたという。いずれもゲームをモチーフにして社会的な問題に切り込む作品となっている。
 

 
 「ゲームアート」の奇妙さの特徴として、“プレイできないゲーム”および“ゲームの中の写真”の2点があげられる。1つ目の“プレイできないゲーム”については、『Miracle』(Miltos Manetas/1996年)という重要な作品がある。フライトシミュレーターゲーム『Hornet F/A 18』の飛行機が墜落せずに水面ギリギリを滑空し続ける様を撮影した映像作品で、奇跡的なバランスを保つためには一瞬でも操作をしてはならないという、プレイしないことで成り立つゲームアートだ。
 

 
他にも、同じくMiltos Manetasによる『SUPERMARIO SLEEPING』(1997年)では、『スーパーマリオ64』のゲームを長時間操作しないことでマリオがプレイヤーの手を離れ、勝手に寝始める姿を映し続ける。マリオは眠ることで自由を謳歌するのだ。
 

 
 これらのようにゲームからインタラクティブ性を取り除いた形に変化させた作品を、MachineとCinemaを足して作った造語で、MACHINIMA(マシニマ)と呼ぶ。
 
 ゲームのプレイ中には、プレイヤーとゲームのキャラクターには操作する側・される側という一種のヒエラルキーが生まれる。これらのゲームアートは、キャラクターが操作をしないということによってその主従関係を壊し、ゲームの世界を独立した新たな視点でもって楽しませるものである。
 
 Miltos Manetasは、ビデオゲームとプレイヤーとのあいだの関係を救う唯一の方法はこれら「ノンプレイの弾」を行使することであり、銃を撃つ(shoot)代わりに写真を撮る(shoot)べきだとも語る。
 

 
 ここから、“ゲームの中の写真(in-game photography)”の話につながっていく。2010年代以降、ゲーム内で写真を撮るという行為(=インゲームフォトグラフィ)が盛んになっている。
 
 ただこれらは、いわゆるスクリーンショットと何が違うのか?
 カメラは現時点で大きく分けてフィルムカメラとデジタルカメラの2種類があり、フィルムカメラは物理空間にある対象を物理でフィルムに焼き込む方法、デジタルカメラは物理空間にある対象をピクセルデータにして保存する方法である。ではインゲームフォトグラフィはどういったものかというと、これはデジタルのピクセルデータをそっくりそのままデジタルのピクセルデータに直すだけのカメラである。「今までのフィルムカメラとデジタルカメラの対立を無効化する。第三項になるのでは」と谷口さんは述べる。たとえば、あるゲームでのインゲームフォトグラフィの撮影手順を見てみると、ゲーム内で時間を止めた後は、現実の撮影手法をシュミレーションする方法がとられている。角度を決め、ズーム機能などで映るものを決めた後、被写界深度を決め、ビネットを調節の上フィルターをかけるのである。
 
 私たちが持っているスマートフォンには、メールや電話、映画、本、カメラなどといった古いメディアが、アプリという新しいメディアになることで内包されている。これを「メタ・メディア」という。
 
 谷口さんは最後に、「ビデオゲームもメタ・メディアである。むしろ、ゲームの中には現実や、現実以外の空間のシミュレーションが含まれていることを考えると、メタ・ワールドと表現できるかもしれない。メタ・ワールドを発見するために、ノン・プレイという方法がある。そしてそこを探索する方法としてのインゲームフォトグラフィという位置付けなのではないか。ゲームアートの奇妙さは、こうしたメタ・ワールド性に由来するものなのではないかと考える」と結論を述べた。
 
※以下、参考資料。
○ゲームアートにおけるゲーム世界の自律性
https://ekrits.jp/2018/05/2620/
○ゲームアートから考える In-game Photography
https://themassage.jp/gameart01/